雲の話    =扉温泉の巨大龍雲 と沖縄から帰ってきたときに見た雲

まだパンプルムースを始める前 瞑想に凝っていたころ 一年に1回か2回瞑想三昧の日をすごす
ために不動時という群馬のお寺に数日一人で泊まりにいっていました

そのとき 巨大な亀の周りを囲んでたくさんの龍が舞っている
というような雲を見て 曇っておもしろいな〜 と思いはじめていたのです

このお寺には合気道と太極拳と一刀流の先生に合宿ではじめて連れて行っていただいたのです
この先生もすごい方で 一刀流と合気道では超一流 という方です 
私にとっては初めて武道(太極拳も含め)というものを教えられた 恩師です

黒瀧山不動時は 黄檗宗という宗派のお寺で 普茶料理という中国風の精進料理をだしてくれます
これが絶品!

揚げ物なども多く 日本風の精進料理よりはずっとボリューム感があります
和尚様がとても料理上手でここで食べたゴマ豆腐は 今でも最高だったと思います
お料理だけでも予約できます

毎あさ6:00頃 鐘を撞き そのあと座禅堂でお経を挙げ 朝飯前の座禅をします

密教の御寺なので お正月には護摩焚きがあり 一度焚いている壇に脇持として座らせてもらい 
護摩木を火にくべる という役を勤めさせていただきました
飛び上がって喜び 長年の願いがひとつかなったことに感激しました 

 お経がおもしろくて 何語なのかわかりませんが「ポラリ ポラポラ」などと独特の抑揚をつけて
唱えるので 聞いているといつも笑いたくなってしまいます
鉦や太鼓とともににぎやかなお経で とても楽しい

合宿期間中は毎晩一人づつ 真夜中に変わりばんこに1時間づつ 山の上にある開山堂に座禅に
いかなくてはなりません

最初は本当に怖くて 10分ほどの真っ暗な山道を一人で上がって行き 前の方と交代するのです

先輩から よろい武者を見たとか いろいろ言われるものですから よけいに怖くなるでしょう
ですから昼間のうちに一度上がって 開山様の像にご挨拶をして「夜 きますのでよろしく」などと
いっておくのですが
其の御像が 塗りが剥げてしまっているので恐ろしい形相になってしまっているのです

おまけにその御像の両側には 壁に沿って御塔婆がずらりとならんでいます
雨の日などはその雨音に混じって石段を上がってくる足音がします

最初はもう次の方がきたのか 早いな〜 とおもったりもしたのですが 違うとわかってから 
怖かったです
それも 何回も通ううちになれて そこにいくのがとても楽しみになり
 ついには一人でこのお寺にまでいくようになったのです
このお寺に一人で行くときには いつも龍雲や亀雲があらわれました


もう亡くなってしまった母と二人で扉温泉に行ったとき

そのころから母は具合が悪く 療養を兼ねた気分転換にどうか ということもありで 温泉にいったときの
こと そこに着くまでに母は疲れてしまい すぐ上のほうのダムを見学に行こうと誘ったのですが 横に
なっているほうがいいということで私一人で上っていきました

ダムに着いてダム湖のほうに向いたとき 横顔だけでダムの端からはじまで届く というような巨大な
まるで絵に描いたそのままの
龍の顔が かかっていたのです

あまりのすごさにしばらく見物していよう 雲だからじきに崩れてしまうだろう と
ダムの手すりから足をぶらぶらさせるように腰掛けて しばらく眺めていることにしました

たまに他の観光客が来るのですが 誰もそれが目に映ったのか写らないのか 気にしようともせずに 
通りいっぺんにぶらぶらすると
いなくなってしまうので 私はほらあの雲を見て と言いたいのですが なんとなく気後れしてしまって
言えません

ずーっとみていると どうもこちらをからかっているような なんだかばかにされているような 龍の表情
なのです
負けるもんか と勝手に想像をふくらませ お前の顔が消えるまでみていてやるぞ と決心して そこに
座っていました

もちろん靴は万が一ダムの中に落っこちたらひろえない と脱いで傍らに置きました
30分くらいたちましたがまったく変化がありません

普通雲は見ているうちにドンドン形を変えてしまうものです
だから そのときその方向を見ていないと どんどん消えてしまう といつもいっているのですが・・

其の龍雲は まったくちょっとも変わらない!
なおさら負けるもんか ってどういう心境なのか自分でも理解できませんが 意地になってそこに
座っていました

1時間半もたつうちにだんだん日も翳って寒くなってきました
「負けました」と心の中で頭を下げ

母も心配しているだろう もうこれ以上無理 とあきらめて降りることにしました
そうして途中の山道で振り返ってみると 龍の顔は崩れかけていました
 
こんなことがあるうちに空を見上げる という行為にはまっていったわけです

私は龍やら何やらはいつも空にいる と思っています
ただ人間はそれを感知できずにいるだけで

私のように鈍いものには 
雲やらを使ってときおり きちんと形をとり いるぞ と教えてくれている などということもあるのでは
ないか と考えてしまっています

初めて沖縄にいって帰ってきたときのことです
沖縄はあまり神社 と呼べるものがないので
(もちろん少しはあって そのとき行けなかったので いつかぜひ行って見たいと思っているところも
あります)
そのときは御嶽(ウタキ)めぐりをしました

このときも旅行中不思議なことがたくさんありました

予報は雨で 覚悟をして傘も持っていったのですが 一度も使う必要がありませんでした
食事のとき 車の中にいるとき ホテルで寝ているときだけ降って 外に出るともう晴れているのです

最後の日 飛行機の時間まで 時間が余ったので 首里城によることにしました
琉球舞踊が見れるということを知り 始まるまでに時間があり 近くのレストランで食事をしながら
待っていたとき 雨が降り始めてしまいました

野外なので 雨だと中止になる と書いてあり 今日はみれないかも と話しながら一応また舞台の
ところに戻りました
多少降ったりやんだりだったのですが (このときはかさを車においてきてしまい さそうにもさせなかった)
時間少し前からかなり降り始め 「もうだめか」 観客も少ないし とあきらめていたら

やります というアナウンス
始まるとしばらくして雨はやみ 最後までもう降りませんた

その一番目の舞踊の音が始まり踊り手が舞台にしずしずと登場し始めたとたん 
なんだかわからないけれど 涙が出始め
其の曲が終わるまでずーっと泣いていました

それまで ほとんど沖縄には興味がなく 昔初めて沖縄の方が「芭蕉布」という歌をからおけで
聞かせてくれたとき 初めて聞いて一回しか聞いてないのに 覚えてしまったことがありました
(1番だけですよ)
沖縄との接点というとそれだけです

沖縄の神様が呼んでくださったのだ と思っています
もしかしたら 前世で沖縄にいたのかもしれないし

うちに来るお客様方もいっています
呼ばれていないといくら計画してもどこかでだめになる
なんらかの理由やら これはじぶんだけということではなく 一緒に行こうとしていた方のほうの
事情だったりもあるのですが
とにかく 何らかの支障ができて つぶれてしまいます

そして帰ってきて次の日の朝 パンプル・ムースに行こうと駅に向かって歩いていたら とても変わった
形の雲が見えたのです

レンガの壁を筆で描いたような模様のくも
あんなに幾何学的な形の雲もめずらしいな〜 と反対方向を見たら 「古」という字が一文字 青い空を
背景にあったのです
とても巨大な字 それだけが空に浮かんでいる

さすがに勘の鈍い私もきがつきました
「芭蕉布」という歌に
「首里の古城の石畳・・・・」という歌詞があるのです

空をみてくださいね〜
きっと自然界のあらゆるものが 昆虫や動物や木や花や 雲も雷も わたしたちに何かを教えて
くれようとしているのだと思います 
ただ私たちは 文明が進歩するにつれてそういうものに感応する力がとても鈍くなってしまっている
だけなのです
意識をそちらに向かって傾けるようにすれば だんだんにまたそういう力が 戻ってくると期待しています
そういう風にこちらがしているとあちらも もっと知らせてやろう もっと知ってもらいたい 
となるのではないかな〜