さて今回は なぜ私が神社にはまってしまったかそれ以前は秋篠寺の伝梵天像を見てから仏像を好きになり この像の写真を見つけて大量にコピーして家中に貼っていました
この像が見たくて秋篠寺まででかけたのに 像は保管の必要からでしょうか 博物館に収蔵されている ということで みれませんでした
パンプルムースのラッキーカムカムをつける前までは いつもこんな風で それより前
当て逃げされて車が大破してしまい おしゃかになったことがありました
私の記憶の中での始めての不思議な出来事だったので 鮮明に覚えています
ぶつけられる前 その頃 私は週に1度くらい友人を訪ねるため 車ででかけていました
駐車場があるのは知っていたのですが 運転がとても下手で 狭い道を入っていくのが自信がなく
結構広くて交通量の少ない道路で 路側帯の幅も広い というのをいいことに道路駐車していました
あるときから その道を車のほうに近ずいていくと 車のバンパーも落っこちてぐちゃぐちゃになってしま
っているように視えるようになった のです
最初は本当にびっくりして [うわ~もうこの車おしまいだ~ ]
とあわてて駆け寄ったのですが 近くまで行くと
なんともなっていないのです
毎回そういう風に みえるので なれてしまい 「ちょっと離れているとこういう風に見えるけど
近寄れば大丈夫」となってしまっていました
もしかしてなにかが 警告してくれているのかな 次回からは必ず駐車場に入れよう と思うのですが
そのときになると まいいか 次からそうしよう と 常にいやなことは何でも先延ばし
まったくしょうがない
そしてある日 やはり ぐちゃぐちゃに見えたのですが いつものことで近寄ればなんともないはず
と思っていたら近寄ってもそのままで ぎょっとしました
警察に通報しましたが (相手も相当ダメージを受けたようで 道路の真ん中に相手の車のバンパーが
転がっていました)
それがあれば ぶつけた車の特定ができると思ったのにら 警察は人身でもないので と最初から
捜す気もなく 中古だったので車両保険もなく
「ああ あんなに何回も教えていただいたのに ちっともきかず申し訳なかった」と反省しました
とにかく 運が悪くて普通 という人生だったので 「なんでこんな人生を選んでしまったのだろう 」とは
思いましたが選んでしまった以上しかたがない と思っていました
それでその仏像からお寺が好きになり 仏教の本なども読み漁っていました
あるとき 気功の第一人者の津村喬先生が主催する 歓気旅行に参加しました
熊野三山 玉置などをバスで巡るものでした
記念すべき初めての神社めぐり
今つくづく思いましたが こんな自分の過去のことを書き始めた ということは やはり私も年をとったと
いうことですね
とみに記憶力に自信がなくなり って子供のときから記憶力は自慢じゃないがなかったです
しかし最近はもっとひどい
とくに年月日が覚えてない 月や日はしかたないにしても 年もわからない
自分の年もわからなくなって
同い年の友人に会ったときさりげなく聞き出すのですが いつもばれて また私から聞き出そうとしてる
でしょ などといわれてしまいます
多少とも記憶が残っているうちに 少しは記録しておこう という考えなのですが 他人のことなど興味
がない という方には申し訳ないかな そういう方は ぜひスルーしてください
那智の青岸渡寺に夕方 集合だったので その前に天川弁才天に行きました
そこで初めて御朱印帳を買いました
とても話題になっていたので どんなすばらしいところか と期待していましたが 私も同行した友人も
ここのよさがよくわからない
二人ともちょっとがっかり
それでも記念にと三叉の鈴を買いました
ところが青岸渡寺について他のかたがたに見せようとしたら ないのです
ちょっと高かったので大事にバッグの中にしまったと思うのですが 煙のように消えてしまいました
ご縁がなかったのですね
あっ いまわかりました
弁財天様 そのとき同行した友人は太極拳仲間でわたしにとっては 息子のような人・・・つまり男性
奇しくもカップルだった~
しかしその後も友情は長いこと続いていましたが 現在は疎遠です
弁財天様 恐るべし うわさは真実なのでしょうか
さて 青岸渡寺での夕食のときです
すばらしくおいしそうな精進料理の数々 おいしそうで見た目だけでもわくわく
私は肉が苦手で 基本的には菜食です
ですから精進料理は安心して食べれる 理想の食事です
その料理を前に座ったとたん テーブルの向こうに床まで届いている長ーい真っ白な髭の行者さんが
座っているのがみえたのです
もう食事は終えられて 雑談をなさっているようでしたが 今にも立っていってしまいそう
食事をしていては間に合わない
でもどうしても そのかたに話を聞いてみたい
理由はないし 何を聞いたらいいのかもまったく思いつかない
第一知らない人に話しかけるのは 超苦手
でもでも なにか話をしてもらいたい
食事を断念して その方のところに駆け寄りました
講のかたがたを案内して熊野の山々や聖地をめぐる 大先達だということでした
感激して話を聞いていたと思うのですが ほとんど内容は覚えていません
とても気さくな 絵に描かれた仙人のようなおじいさんです
明日の朝も早い ということでしたが30分も話した頃 私の御朱印帳に観音様の絵を描いて
くださるといわれ その絵も文字もすばらしかったので 他の方にも描いていただけないでしょうか
とお願いしたら
OKということで あらかた食事を終えてまだ残っていた方々 10数人をお呼びしました
ある方はもしかしてこんなこともあろうかとまっしろなTシャツを持ってきた ということでそこにとても
大きく お経の一部とそのかたへの言葉を添えて 描いていただいていました
描いて頂いた後 「今回私はこのために このツアーに参加したのだわ」と涙ぐまれていました
さてさめてしまったけれど ご飯を食べようと席に戻ったら ない!
片付けられてしまって なにもないのです
ショック!!
そこにまだいらしたお坊様にたのんで ようやくご飯とつけものだけをいただきました
のっけから そんな風だったので こういうところに泊まれば しょっちゅうこんなかたにお会いできる
のだろうと思ってしまいましたが この旅のとき以来 一度もそういうことにはなりませんね~
次の日は玉置神社に行ったと思います
ぼけているので 順番が定かには思い出せない 私の場合 人生は線ではなく点 点があちこち
散らばっている
順番に線上に並べようとしても むつかしくてできない・・・かなしい~
玉置に行くバスの中で観光ガイドさんが
「ここに来るのは初めてです 長いことガイドをしていますが
一度も来たことがありません ここは呼ばれないと来ることができないといわれています
来ようとしても 呼ばれていない場合 必ず何らかの支障がおきて だめになる
途中まできたのに車がパンクしたとか 病気になるとか
ですから私は 今日皆さんとここに来ることができて本当にうれしい」と
いっていました
神社に着いて 山道をたどり 「世界を支える木」と話などしながら上がっていくと 奥宮のある山の
下のちょっとした広場でまたもや 行者さんがお弟子さんらしき人と二人で 杉の枝を直径1メートル半
もありそうな巨大な円筒形に綺麗に積み上げて護摩焚きの準備を していたのです
それを見たとたん足が止まってしまいました
山の陰になっているせいかとても寒いし みんなはちらりとみただけで どんどん上に上がっていってしまいます
山頂でお弁当を食べる予定なのです
しかし 私は動けない
そのうち ご祈祷が始まりました
初めて聞くもので 八方に何度も礼拝し 何回もやるので 早く終わらないかな~などとこころの
なかでは思っているうちに 何度めかから 一回増えてどうも私のほうをむいてしているようなのです
後ろに何かあるのかな~ と振り返って見ましたが なにもありません
一人のおばさんが 途中から立ち止まって しばらくいらしたのですが その方のほうに向けてはしていません
わけもわかりませんが なんとなく私も会釈を返したりしてしまいました
そのあと童謡を歌いだし ところが歌詞がぜんぜん違い とても古風なお神楽で使われている
ような言葉で 何番もあって とても長いものでした
メロディーもずいぶん違い 最初に歌われた古えには 本当はこうだったのだろう 真に力を持つ
言霊が込められていたのだろうと 思いをはせてしまいました
録音できなかったのがとても残念で 小柄な方なのに朗々とした声が山々に響き渡り 山全体が
厳粛さに包まれながらも 喜びの声を上げているようでした
「なんで誰もここに参列もせず スルーできるの~」
「無料ですよ~ 一生分のご利益ありますよ~」 と叫びたかったです
全部終わるまでずいぶん時間がたったと思います
終わって最後に八種類くらいの香料?をいれた御神水をかわらけに注ぎ どういうわけか私にも
勧めてくださいました
ちょっとだけお話を聞いたら ほぼ1年中 全国の神聖な山々をめぐり歩き 全国の信者さんたち
から奉納された般若心経などを御焚き上げしつつ 国家安泰をご祈祷なさっている ということでした
無償ですよ
人知れずですよ
こういうかたがたが日本にはまだ たくさんいらして それで日本という国はなんとか安泰を保ち
それゆえに神国などともいわれるのか
とただただ頭の下がる思いでした
ここ玉置に来る前は新潟の山にいかれた ということで私は新潟出身なものですから なんとは
なしのご縁を感じました
ふと振り返るともうみなが下ってき始めています
おまけに急に暖かくなり あの寒さはどこへいったの という感じ
でも どうしても上までいってみたいと思い 私としては死に物狂いで 山道を登り始めました
奥宮にお参りし 来た道を戻っていては絶対に間に合わず きっとみんなにめいわくをかけることに
なる と悩んでいたら ふと横に細い別の道がある事にきづきました
きっとこの道は駐車場に続いているに違いない と不安を抱えつつもそちらを下りはじめました
本宮へ向かう途中 大斎の原を通りました
大斎の原は私にとっては最悪でした
敷地の中にいる間中 ずっと顔を上げられず 心の中で「ごめんなさい ゆるしてください」などと
あやまり続けていました
理由はまったく けんとうもつきません
ただ この下には無数の無念をもった屍が埋まっているのではないか と想像してしまいました
実はアウシュビッツ収容所へ行ったことがありますが 若い頃のことで何も考えず敷地へ入った
とたん足がすくんでしまい みなについていくのがとてもいやで しかし好奇心にかられてついて
いくと 人の皮膚で作られたランプとかが展示してあり
それを見た後はとてもついていけず 外で時間までうろうろしていたことを思い出しました
そのあと 徐福のお寺や 神倉神社を経て 新宮へ
ここで私は生まれて初めて土下座をしました
速玉様の御神殿の前でした
「そこにひざをつきなさい」という声が聞こえたのです
「えっ」と思いましたが 思い切ってひざをつくと 自然に頭が下がりました
「頭を上げよ」
という声で顔を上げると 格子の隙間から 御神殿がよく見えました
「問いなさい」
といわれるので 心から聞きたかったことで 怖くて聞けなかったことを 聞くしかない
やはり 望まない答えが返ってきました
これですっぱり この望みはあきらめよう あきらめるしかない と得心しましたが やっぱりとてもショックでした
初めての神社めぐりで こんな風だったので 神社に行けば いつもこんな風なのかと 錯覚して
しまいましたがその後熊野にも何度も行っていますが 一度も行者さんなどと行き合わせたことはなく
津村先生のおかげで 稀な体験をさせていただいたのだと
感謝です杉林の中の道を下って行く途中 直径50センチくらいのたいして年輪も経ていない木が 突然大声で
「認める」と叫びました
その途端 お山全部の気が ”パン”と変わりました
実は山に入ってからずーっと 杉達から値踏みするような ちょっとばかにされているような視線?を
感じていたのです・・・
妄想ですから
それが一瞬で変化して 好意的というか 暖かい視線になりました
その後私はどこへ行っても杉があると守られているような安心感を抱くようになっています
そういう声があったので こちらの道は間違っていない と確信でき 急ぎ足で降りて行きました
駐車場に着いた時 まだ皆さん のんびりおしゃべりなどしている様子だったのでほっとしました
その夜は 湯の峰温泉に泊まりです
露天風呂でゆっくり手足を伸ばし ふと空を見上げると 見たこともない巨大な月輪がそら一面に
虹色に輝いています
こんなすごいものを見れるなんてさすが熊野だな~などと思い 心ゆくまで この月輪が消える
までこのお風呂に浸かっていよう
・・・2時間以上もたったのですが 一向に消えません
扉温泉の龍雲といっしょだな~
何の変化もなし
あきらめて 上がり 宿泊先への道を夜空をながめながら歩いていると ちょうど津村先生と行きあいました
津村先生は気功の先生なのに オカルト的言動はお嫌いです
しかし 私は思わず 天を指して「あれは月の女神の祝福です」と言ってしまいました
いやな顔をなさるかな と心配したのですが 先生もこの神秘的な光景には感動なさっていらしたようです
次の朝は歩いて一山越えて 本宮へ
その山中が とても強い気に満ちていて ちょっと油断すると 両腕が自然に持ち上がっていって
しまうくらい隣を歩いている女性が 「私は気功とか一度もしたことがなくて
なんであなたはそんな風になるの」と聞かれるので
「この山はエネルギーがとても強いから誰でもこうなると思うけど まず 深呼吸して体の力を
抜いてみて」といいましたら ふわっと両腕が挙がり 喜んでいらっしゃいました
山頂には月読み神社がありました
小さな井戸が切ってあり 清冽な水が湧いていて かえるが住んでいました
後年 ここを訪れたときには(3回行っています)もうほとんど水が無くなり 土地が汚れてきて
いるのかと 悲しかったです