人間が持つ不思議な力

西野流呼吸法の対気 合気道の合い気挙げ  保江邦夫博士の愛気真髄という本で教えられ
た愛気 そしてOリングテスト これらすべては同じものであり 同じ力をあらわしている 
ということにいまようやく気がついた

以前 西野流呼吸法に5年弱通いました
由美かおるも所属していた西野バレー団の西野先生が合気道を修練されていたときに 相手に
触らなくてもなぜか相手がふっとんでしまう これはなんだろう? というところから始めたものです
2時間の授業の中で 最初の1時間は西野先生が考案された気が良く巡るように そして自分の気
を自在に操れるように という目的のための体操をします
呼吸法というだけあって 形よりも意識した深い呼吸をすることが重要で 体の内部 たとえば内臓の
ひとつひとつに息が行き渡り 内臓や体の細胞一つ一つが美しい光を放ちだすさまをイメージする この
体操のときはイメージすることが大切なので
そのイメージをしやすくするために 腕や体を動かすという風でした
ただ説明のようなものは授業の中では殆ど無くて 実践あるのみでした
この体操はとても気持ちがよいものです

その後指導員と1対1の対気をやります
大体1時間のあいだに5回くらいできます
初めて対気を受けたとき 互いに向かい合って対峙しているので 私の感覚としては前に出ようという
意識だったと思いますが 逆に1歩下がってしまいました
なぜなのかまったくわからず 不思議な感覚でした

それから5年弱 不思議の連続でした
あるときは 修練が終わったとたん 倒れて体が強張っていき 動かなくなってしまいました
先生方が廻りに集まってきましたがみなさんどうすることもできません
気をいれて治して下さろうとすると よけい強張りがひどくなります
だんだん内臓も動かなくなっていくような感覚で 呼吸もままならなくなり 道場の床に倒れたまま肺が
動かなくなれば 呼吸ができなくなり そうして死ぬのではないかと不安で一杯になりました
救急車呼んで と言いたかったけれど口も動きませんでした
30分ほど経過したと思いますが 心は恐怖でいっぱいなのに 突然体が笑い始めたのです
だんだん笑いが体中に広がっていき しまいに勝手に大笑いして体の緊張が解けました
解けてみればすっきりさわやかで 細胞一つ一つがリフレッシュしていました

対気をすると気の弱いほうが飛ばされることになるので 後ろ向きのまま全力疾走することになります

周りには壁一面ぶあついマットレスが貼ってあり おもいっきりぶつかってもはねかえされ 怪我を
しないようにしてあります
私の場合 先生の強さによって多少の違いはあるのですが 道場のはじからはじまで走っていって
何度も往復していました 終いには息が切れて苦しくなるのですが それでも走らされました 
それだけでなく マットレスにぶつかると天井まで3メートルくらいとびあがるのです
人のはるか頭上まで上がりそこで自然に体がまわり正面を向いて飛び降り また全力疾走 それを
1回の対気をするごとに何度も繰り返します

一度などは終わって着替えに戻ったにもかかわらずどうにもならなくなって また道場に戻って
ひとりで往復していました
体の中で気が大量にめぐってしまい 中だけで納まらず外にまであふれていくので 飛び上がったり
走ったりしなくてはいられない という感じです
まるで自分は忍者になったのかと思いました
静まるとほんとにすべての細胞が完全に生まれ変わった という感覚で帰るときには足が軽くなり
宙を踏んでいるような感じでした

ときどき一緒になったおばさまは 壁のマットを垂直に4・5歩駆け上がりました
つま先がほんのわずかにマットに触れてしかいません
体も垂直に起こしたままです
まさに映画の中の忍者です

そういえば 太極拳の陳氏20世陳老師に教えを受けていたとき めずらしく先生が手をとって教えて
くださったことがありました とたん先生の気が入ってしまい帰りの駅の構内でもぴょんぴょん跳ねて
しまったことがあります
さすがに恥ずかしかったです

事情により呼吸法には通えなくなって 太極拳を習い始めました
I師範は陳老師のところで教えを受けて 公園で無料で教えてくださっていました 私は運動が苦手です 
子供のころから腎臓が弱く 学校の体育もほとんど休みがちでした 太極拳はゆっくり動けばよい
 というのを聞き込んで それならできるかもと始めたのです それがずーっと続いてかれこれ云十年
経ってしまいました I師範は本来は合気道と小野派一刀流の先生で その影響で短い期間ですが
合気道も一刀流も習いました

I先生は本来古武道の師範です この先生が真剣と同じ重さの太い木刀を振り落ろすとびゅんという
凄い音がします
目の前の空気がきれいに切り裂かれたのが見えるのです
木刀で対峙していると 先生の気が刃先から飛んできます
それは西野流で飛ばされるときと同じで 非常に気持ちがよいのです
剣豪小説を読んでいると主人公は強い相手を探しては対決しようとします
殺されるかもしれないという危険をはらんでいるのになぜいつも強い相手をさがしているのかは 
私にとっては謎でした
しかし先生の気を受けたとき 「達人の刀で切られるのは究極に気持ちよいものかもしれない 
それを希求するあまり
殺されても本望だ」 となって次々と強い相手を求めることになるのかも と妙に納得しました 

合気道のひとつの技に合気挙げ というのがあります
片方が正座して ひざの上に両手を置き もう片方がおもいきり体重を乗せてその両手をおさえつけます
押さえつけられ正座したまま 押さえつけている人の手をはねかえす という技です
私は習っていたとき一度もそれができませんでした
1年2年では習得できないわざだと言われもしたし そのとおりだと思いました

数年もたったある日 保江邦夫博士がテレビに登場しタレントさん相手にその技を披露され 
そうして誰でも簡単にできる と言っているのです
もちろん私は興味津々 食い入るように画面を見ていたと思います
先生がおっしゃるには 「とっても楽しい大好きなことを思い浮かべなさい 
そうしてそのことをさあやろう!と思って手を上げればよい」それだけなのです
現にタレントさんたちは女性も男性も 体格なども関係なく皆簡単にできたのです
びっくりしました
まさに仰天同地 晴天の霹靂 

次の太極拳の日 生徒さんの一人に正座した私の両手を体重をかけて押さえつけてくれるように
お願いしました
そして博士が言ったようにイメージしてやってみました
とっても簡単でした
逆になんの力もいりませんでした
筋肉を使おうとしているうちは絶対に不可能です
合気道では裏筋肉を使うといっていましたが 今思うと裏も表もない単なる意識 というか
要は昔から言っている「火事場のばか力」です

保江博士(理論物理学者)はそのことを理論的に「合気真髄」という本で解き明かそうとしています
最近博士の合気真髄を読んだので その中に踏ん張ってたっている相手の肩に手をかけて 
うしろに倒すという技について書いてありました

またもや ほんとかな?と確かめたくなりました
今回は私よりずっと背が高く体の大きい太極拳の仲間に頼み うしろを向いてたってもらいました
私が彼の背中側から両手を肩にかけて 必死の力をこめて倒そうとするのですがびくともしません
当たり前です
私が倒そうとすればするほど相手は前に体を傾けようとするわけで 体全体の力に対し私の非力な
2本の腕だけの力では かなうわけがありません

次に博士が書いているように「相手の魂を愛で包み込む」という風にイメージしました
しかし愛というものをイメージしにくかったので 単に私のエネルギーフィールドのなかに相手の
フィールドを入れる という風にしてみました
もしくは私の気?のエネルギーで相手のエネルギーフイールドを包み込む という感じです
そうしたら片手で簡単に倒れてしまいました
最初のときに比べて後のほうはものすごい力を感じた といわれました
しかし実際私のほうはなんの力も使っていないというか ただ後ろに軽く引いただけです

その日パンプル・ムースに久しぶりに来られたお客様にも頼んで同じようにやらせてもらいました
この方は女性ですので 最初の彼よりは小さいですが 私に比べれば大きい方です
そのときは 私としてはほんとに軽くやっただけなのに 体全体がくず折れてきて 支えようとした
私まで一緒になって転びそうになりました
狭い店の中なので必死で近くのテーブルにつかまったりしてなんとかふみとどまりました
「凄い力だった」といわれたのですが 実際最初に力で倒そうとするようなパワーはまったく
いらないので 本当に軽く後ろにひいただけなのです

私は小さいときから病気ばかりで 学校の体育も欠席が多くほとんど運動というものをやったことがありませんし もともと筋肉もつきにくい体質です にもかかわらず西野流の対気で3メートル以上も軽々と
飛び上がり 自分の体力の限界を超えて全力疾走させられるわけです 
これは筋肉とはまったく関係のないなんらかのフォースとおもうしかありません

私の場合は自分ひとりではまったくできないので 西野流のときのように他人のエネルギーを
ぶつける ということがどうしても必要です 
一人でも誰の力も借りずにこういうちからを普段に出せる人が超人 とかになるのでしょうか?

そうしてOリングテストですが 指の筋肉が自分にとって良いものを持つだけで 瞬間的に強くなるわけです
やはり人間というものは 実際に神と同等の能力を内包しているのかもしれない
封印されているのか ただ気がついていないだけなのか そんなように思えてきました

先日陳老師の講習会がありました
老師の講習会ではいつもそうなのですが 急に自分がうまくなったように思えるのです
以前パンプル・ムースのHPに書いた記事をコピーさせていただきます

今回他の方と話しましたら その方も同じように思っていたということでした
錯覚ではないのです
保江博士が本に書いていらっしゃる「空間転移」つまり博士の場合は道場をピラミッドの王の間の
空間に繋げる
その場を別の場(良い気を持つ場)に繋げることができる そうすることで場の空気が一変し 
そこにいる人たち皆の気分が向上して 明るく肯定的になる  技も良くかかるようになるそうなのです

陳老師も実は無意識に同じことができていたのではないかと思い当たりました
老師は工学博士であり物理畑の人です
話す口では眼に見えないものに関しては否定的です
しかし実際の太極拳の演武においては気エネルギーなくしてはかたれません
老師のエネルギーフイールドは強大なので ご自身が意図せずとも体育館全体を包み込む 
支配してしまうのだと思います
だから皆が自分の実力以上に動けてしまうのではないでしょうか
老師抜きのいつもの練習に戻ると「あれ あのときのようにできない~」となってしまいます
でも一度でも体験したことは 意識では忘れていても体の細胞は覚えているそうですから
 いつか自分だけでそうできるようになるのでしょう

こういう力は今までそれぞれ別々のものととらえていたのです
しかしようやく すべて同じフォースであった ということに気がついたのです
同じ力であるけれど表現の仕方がそれぞれ違う ということだったのです
そうして 多少の強弱はあるでしょうが誰もが持っているものなのです
意識を変えればよいだけです

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